竪穴式石室

重要度
★★★

竪穴式石室 (たてあなしきせきしつ)

3世紀中葉〜5世紀末頃

【概説】
古墳時代前期から中期にかけての古墳で多く見られる、墳丘の頂上から縦に穴を掘り、棺を納めて周囲を石で囲った埋葬施設。一度埋葬を行うと土で密閉されるため追葬ができず、特定の有力首長の権威を象徴する一代限りの墓であった。内部には鏡や武器などの豊富な副葬品が納められ、当時の政治的・社会的背景を紐解く重要な鍵となっている。

構造と築造のプロセス

竪穴式石室は、古墳時代前期から中期の首長墓において主流となった埋葬施設である。その構築手順は、まず墳丘をある程度の高さまで築き上げたのち、その頂上部から長方形の深い穴(墓壙)を掘り下げることから始まる。その底に粘土や小石を敷いて床を作り、割竹形木棺(わりたけがたもっかん)などの長大な棺を安置する。その後、棺の周囲に板石や川原石を積み上げて壁体を構築し、上部に平らな巨大な天井石を架け渡して蓋をしたのち、厚く土を被せて完全に密閉した。

この構造の最大の特色は、遺体を埋葬した後に空間が完全に閉じられることにある。すなわち、後から別の遺体を同じ石室に葬る追葬(ついそう)を想定していない、特定の首長個人のための一代限りの埋葬空間であった。

副葬品から読み解く首長の性格

竪穴式石室の内部、特に棺の内部や石室の床面には、被葬者の生前の権力や役割を示す多種多様な副葬品が納められた。また、遺体を保護し邪気を払う呪術的な意味合いから、石室の内部に大量の水銀朱(すいぎんしゅ)が塗布されることも多かった。

古墳時代前期の石室からは、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)をはじめとする多数の銅鏡や、勾玉(まがたま)などの玉類、腕輪形石製品が多く出土する。これらは当時の被葬者が、神々を祀り農耕の豊穣を祈る呪術的・司祭者的な権威を持っていたことを示している。一方、古墳時代中期に入ると、短甲(たんこう)や冑(かぶと)といった鉄製の武器・武具の副葬が著しく増加する。埋葬施設自体は竪穴式石室(またはそこから派生した粘土槨などの簡略化された施設)が引き続き用いられたが、副葬品の変化からは、ヤマト政権の拡大や朝鮮半島との緊張関係を背景に、首長層の性格が呪術的な司祭者から軍事的な指揮官(武人)へと変質していった過程を明瞭に読み取ることができる。

横穴式石室への移行とその歴史的意義

古墳時代後期(5世紀末〜6世紀以降)になると、朝鮮半島の影響を受けて、外部から遺体を運び込むための羨道(せんどう)と呼ばれる通路を持ち、出入りが可能な横穴式石室が全国的に普及していく。これにより、長らく日本の首長墓の象徴であった竪穴式石室の時代は終焉を迎えることとなった。

この転換は、単なる土木・建築技術の変化にとどまらず、当時の社会構造や死生観の劇的な変化を意味している。一代限りの孤高の権威を誇示した竪穴式石室から、家族や血縁集団の継続的な追葬を前提とする横穴式石室への移行は、ヤマト政権下において「同族(氏)」という血縁的紐帯を重視する社会秩序、すなわち氏姓制度の基盤が確立していった歴史的過程を如実に反映しているのである。

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日本史一問一答(ランダム)

Q. 古墳時代を3つの時期に分けた場合、前方後円墳が衰退に向かい、群集墳や横穴式石室が盛んに造られた時期を何というか?
Q. 律令制において、人民の逃亡防止や治安維持のために5戸を1組として編成し、納税などの連帯責任を負わせた制度を何というか?
Q. 鍬形石・車輪石・石釧などのように、古墳時代前期の呪術的な副葬品として出土する石で作られた腕輪の形をした製品を総称して何というか?