三角縁神獣鏡

重要度
★★★

三角縁神獣鏡 (さんかくぶちしんじゅうきょう)

3世紀〜4世紀

【概説】
外縁部の断面が三角形をなし、背面に神仙や霊獣の文様が鋳出された大型の銅鏡。主に古墳時代前期の古墳から多数出土する代表的な副葬品である。邪馬台国の女王・卑弥呼が魏から下賜された鏡であるとする説があり、初期ヤマト政権の成立過程や邪馬台国論争を紐解く上で極めて重要な考古史料となっている。

独特の意匠と日本列島における出土状況

三角縁神獣鏡は、その名の通り鏡の外縁部の断面が三角形状に鋭く盛り上がっているのが最大の特徴である。背面には東王父・西王母などの神仙や、龍・虎などの霊獣(神獣)の文様が緻密に浮き彫りにされており、直径は20センチ強と当時の銅鏡の中では比較的大型に属する。

これまでに日本全国の古墳から500面以上が出土しており、特に古墳時代前期に築造された畿内(大和地方など)の大型前方後円墳に集中している。1997年から発掘調査が行われた奈良県の黒塚古墳からは、1つの古墳から33面もの三角縁神獣鏡が出土し、当時の学界や社会に大きな衝撃を与えた。

「魏志倭人伝」の記述と邪馬台国論争

三角縁神獣鏡の歴史的意義を語る上で欠かせないのが、中国の史書『三国志』魏書東夷伝倭人条(いわゆる魏志倭人伝)の記述である。同書には、景初3年(239年)に邪馬台国の女王・卑弥呼が魏の皇帝(明帝)に使いを送り、「銅鏡百枚」などを下賜されたと記されている。この「銅鏡百枚」こそが三角縁神獣鏡であるとする説が有力視されてきた。

出土分布が畿内を中心としていることから、この鏡を卑弥呼が魏から得たもの(特銅鏡)とみなす立場は、邪馬台国畿内説を補強する強力な考古学的根拠の一つとなっている。一方で、九州説を支持する研究者などからは後述する生産地をめぐる疑問点が指摘されており、今なお白熱した議論が続いている。

舶載鏡と仿製鏡、そして生産地をめぐる謎

三角縁神獣鏡は、中国で作られ日本に持ち込まれたとされる「舶載鏡(はくさいきょう)」と、のちに日本列島内でそのデザインを模倣して作られた「仿製鏡(ほうせいきょう)」の2種類に大別される。しかし、三角縁神獣鏡が本当に魏で鋳造されたのかについては重大な謎が残されている。それは、これほど大量に日本で出土しているにもかかわらず、中国大陸での出土例がいまだに一つも確認されていないという点である。

また、鏡の銘文には「景初三年(239年)」や「正始元年(240年)」という魏の年号を持つものがある一方で、実在しない「景初四年」という年号が刻まれた鏡も発見されている。これらの理由から、魏の皇帝が倭国のために特別に鋳造させたとする「特鋳説」のほか、魏から逃れてきた工人が日本列島で鋳造したとする「渡来人鋳造説」、あるいは魏ではなく呉の様式を受け継ぐ工人が作ったとする説など、多様な見解が提示されている。

同范鏡の分与とヤマト政権の支配ネットワーク

古代国家の形成という観点において最も重要なのは、「同范鏡(どうはんきょう)」の存在である。同范鏡とは、同じ鋳型(范)から鋳造された兄弟鏡のことを指す。三角縁神獣鏡の同范鏡は、畿内の中心的な大型古墳と、関東から九州に至る地方の首長層の古墳から、まるでネットワークの結節点を示すかのようにセットで出土することが多い。

この事実は、3世紀後半から4世紀にかけて成立しつつあった初期ヤマト政権(大和王権)が、服属または同盟関係を結んだ地方の有力首長に対して、自らの権威の象徴として鏡を計画的に分与(配布)した結果であると考えられている。つまり、三角縁神獣鏡の分布状況は、当時のヤマト政権がどのようにして地方豪族との間に政治的な連合体制(身分秩序)を築き上げていったのかを、如実に映し出しているのである。

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古墳時代の出土品から紐解く、大陸との交流がもたらした倭国の高度な技術と美意識を詳らかにする貴重な記録。

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A.
Q. 弥生時代前期の段階で、すでに本州の北端まで稲作が伝わっていたことを証明した、青森県弘前市の水田遺跡はどこか?
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